なぜ阿波の藍がいい⾊を出せるのか

「藍染」の原料である「蒅(すくも)」は昔、⽇本全国で作られており、現在でも「紺屋町」などの地名が各地に残っています。なぜ阿波(徳島)で作られる藍がいい⾊を出せるのかといいますと、まず徳島の⾵⼟が藍の栽培に適していることが上げられます。藍染めのピークと⾔われる明治36年頃には、徳島県全体で藍の作付⾯積が15000ヘクタールにも及ぶ時代もありました。

関東では利根川(坂東太郎)、九州では筑後川(筑紫次郎)、そして四国三郎と⾔われる徳島の吉野川が⽇本三⼤暴れ川と⾔われています。吉野川の流域は台⾵による⽔害に⾒舞われるため稲作には向いていませんでしたが、台⾵の季節の前に収穫を終える藍の栽培には適した⼟地でした。加えて、収穫後に訪れる台⾵による⽔害が藍畑に肥沃な⼟をもたらし、連作を嫌う藍の栽培を可能としたのです。
群⾺の桐⽣の藍、北海道の伊達藍などの藍の産地がありますが、今でも徳島(阿波)の藍は群を抜いていい⾊を出すと⾔われています。

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